家族(親族)の到着まで待つべきなのか
2025年1月4日(土)、おつかれさまです。
昨日の雑談と同じような記事で失礼します。今日は土曜日ですが、個人的には通常通りの出勤です。9時30分から昨日亡くなった被後見人Oさんの葬儀についての打合せがあったので。
ホールに向かう途中の9時26分に倉敷平成病院の看護師からの電話で、被後見人Gさんの血圧が60まで下がっているとのことでした。12時37分に再度電話があり、亡くなったと知らされました。
私が病室に到着したのが13時10分。担当医師が病室に来て、ご遺体の前で死因と経過について説明してくれました。
2023年7月16日の「死亡時刻≠死亡確認時刻」という記事で書きましたが、死亡診断書の「死亡したとき」は、厚生労働省は死亡時刻を書くべきで、死亡を確認した時刻ではないとしているそうです。
法医学者は、直腸温度から死亡時刻を計算し、その推定時刻を「死亡したとき」に記載すべきだと考えているようです。死亡時刻をできる限り正確に記載することには、私も賛成です。
以上は、死亡時刻は必ずしも死亡確認時刻ではないという論点です。次の論点は、死亡確認はいかにされるべきかという点です。
昨日のケースでは、16時に看護師から息を引き取ったとの連絡があり、16時50分に病室に到着したときには何の処置もされおらず、モニターの数値はすべてゼロでした。
後見人としては死亡時刻はできる限り正確な方がいいと考え、死亡診断をしてほしいと伝えたのですが、親族が到着してその面前で死亡確認をした20時が死亡時刻となりました。
今日のケースでは、親族どころか後見人の到着前にすでに死亡確認をしており、後見人には説明のみでした。いったい、どちらが正しい死亡確認のあり方なのでしょう。
私は後者だと考えます。親族の到着まで待ってその面前で死亡宣告をする必要があるのでしょうか。待つ理由は何でしょうか。訴訟リスクの軽減でしょうか。
16時に息を引き取ったと連絡があり、それから死亡宣告までの2時間、何の処置もしていません。ただ親族の到着を待っていただけですから。もしも、親族が死亡宣告は明日にしてくれと言えば、そうなるのでしょうか。
実際の死亡時刻が16時として、その後の2時間の間に、相続人に異動を生じさせるような事態が起こらないとも限りません。実際、一つの相続関係説明図の中で同一の死亡日の方がいるケースがありました。
私見ですが、死亡確認は、親族の意向に関わらず、医師が医学的判断で行うべきではないかと思います。
たいていの場合は、延命は希望しないという確認を事前にとっているわけですし、心肺停止後、蘇生術をしないと決めているのであれば、あえて親族を待つ理由がわかりません。(桐)
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