生きている人を大事にする
2025年2月27日(木)、おつかれさまです。
なでしこジャパンが過去40戦で1勝しかしていないアメリカ代表に13年ぶり勝利! コロンビア戦の谷川萌萌子選手のロンシューは衝撃でした。ファジアーノはガンバ大阪に勝つし、三苫や久保の活躍は素晴らしいし、ますますサッカーが面白くなってきましたね。
サッカーの話はともかく、今日は死生観・宗教観についての雑談です。最近とにかく忙しすぎて、いつも焦っている状態なので、忙しさのせいにして問題発言をするかもしれませんが、ご容赦を。
被後見人Mさんの葬儀でした。今年に入って2か月で5人目の火葬・収骨ですが、5人目にして初めて僧侶を頼んでのきちんとした仏式の葬儀でした。お寺さんは浄土宗なので「南無阿弥陀仏」です。
私の実家は真言宗なので「南無大師遍照金剛」でして、仏壇もお墓も普通にあって、私も教本がなくてもお看経を空で唱えることぐらいはできます。私の子どもは全員お寺の保育園に通ったので、就学前に般若心経を空で唱えていました。
でも、私は、自分のことを仏教徒だと思ったことは一度もありません。自分でお経を唱えてもその意味を知りたいとも思わないし、戒名なんていらないと思うし、何より骨壺に入れられてジメジメした墓石の下に閉じ込められるのはとても嫌です。
先日、焼香の臭いが苦手なので自分の葬式はしないでほしいという依頼者がいました。賛成です。私も葬式なしでいいし、火葬も遺体をなんで焼かなきゃいけないのかわからなくて、遺体は海に捨てて魚のえさにしてくれればいいかなと思ったりします。
仏壇とか位牌だとか、そんなものに故人の魂があるようには思えません。それらは誰かが誰かの生活のために考え出したある意味商品なのだろうと思ったりします。戒名だってそうですよね。
そりゃ、こんな私でも墓参りはしますよ。仏壇には手を合わせます。でも自分の子どもたちにはそんなことしてもらわなくてもいいかなって。そういう考えなので、宗教で食べている人ってあまり好きではありません。
もちろん僧侶や神父や牧師にも尊敬できる立派な人は大勢いると思います。でもそういう人は、常に穏やかで他者に優しく人を諭しても決して責めることのない、その人格が素晴らしいと思うのであって、そうでない人は単に宗教で飯を食っている人としか評価できません。
最近、自分の宗教観を押し付ける、とても腹立たしい僧侶がいたので、「あなたの価値観で私を否定しないでもらいたい」と心底思ったものです。宗教者が非宗教者を批判・非難すれば、その宗教に未来はない思います。
ところで、今日のお寺さんには感心しました、私が挨拶すると、名刺を渡す前から「〇〇さんのときにお会いしましたね」と。もう3~4年前ですよ。私はお寺の名前もお坊さんの顔も忘れていました。
人の顔と名前を憶えていてくださる。単に記憶力がいいというだけでなく、そこには人を大事にしようという僧侶の姿勢があると感じたしだいです。死生観・宗教観は時代によって変わりますが、生きている人間を大事にしない宗教は滅ぶと思います。(桐)
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